「北の国から」というドラマがある。以前から知っていたが見る機会がなかった。それがたまたま動画サイトにあったのを見て観てみた。予想していたよりドロドロで情けない人たちのドラマだった。それが予想外に面白かった。情けない話が立派な話よりずっと良くて、立派でない自分にフィットしたのかもしれない。そう思ってみた人も多いのかなと思った。難点を言うと見ていると寒くて、夏に向かっているというのに寒気のすることか。
その中で主人公の五郎さんがカネがなくて、水を自給して電気を自給しているのを見て、我が家と同じだと思った。
しかし電気自給の動機はカネの問題だけではなかった。それ以前に電力会社に頼りたくなかったからだ。そして暮らすのに「おカネを稼ぐこと」よりも「支出しなくてすむ暮らし」をしたいと思っていた。カネに頼らない暮らしをするには、必要になるカネを最小限にすべきだと思ったのだ。
一月前、太陽光発電と中古の電気自動車のリチウムイオンバッテリーを増設して、雨が降り続いても電気が足りなくならない状態にした。
初めて電力自給して約10年、曇りで発電量が少ない日でも電気が足りるし、全然発電しない日々が一週間続いたとしても電気は足りる状態にした。
ただし我が家は10年の自給生活のおかげで省エネ製品ばかり使っているから、初めて始める人とは違っているかもしれない。こうして十分な電気自給をしていると、これなら他人に勧められる気がする。それに10年前とは価格が違う。装置が今より10倍高かったから人には勧められなかった。今なら一桁安い価格で実現できる。我が家の装置は10年前の間に劣化している。でも劣化など気にならない程度のものでしかなくて、普通に暮らしていける。装置の劣化以上にその間の電化製品の省エネぶりが大きく、「新たな電化製品のせいで消費が増える」ということはなかった。
妻はこれでやっと人並みの暮らしになったと喜んでいるし、友人たちは「これで電気が足りなくなって温泉ホテルに出掛けなくて良くなったね」と喜んでくれた。雨が続くと電気が足りなくなるからと、友人宅に寄らせてもらうこともあったのだ。
ここで終わるなら「北の国から」の五郎さんと同じだったろう。しかし私にはさらに大きな野望がある。個人の電気自給だけではなく、地域や街の地域自給だ。我が家の今回の電気自給に85万円ほどかかった。我が家は以前につけた装置分があったが、新規で装置を新設したとしてもあまり変わらない。もし地域で自給したとしても、一世帯当たりほぼこの価格でできるだろう。
今の電気料金が月5000円として、170か月で同額になる。金利を無視すれば14年と2か月で元が取れる。しかし従来の電気とは大きく異なる。第一に未来の子どもたちを脅かす地球温暖化も、原発事故の心配も要らなくなる。コストに化石燃料代はなく、エネルギーは無限の自然のエネルギーだ。14年と2か月後には、装置を更新しなければならなくなるまで支払いはない。エネルギー輸入の不安もなくなるし、おカネがなくなっても生活できる。
肝心の寿命だが、太陽光パネルはほとんど50年持ち、終わるときも突然切れるのではない。発電量が少しずつ減っていき、劣化する。リチウムイオンバッテリーも劣化までに約30年は使えるだろう。我が家のものは中古だが、それでも今後20年は使えるだろう。この劣化は空にしたり満タンにしたりすると劣化が進む。電気自動車ならそういう心配もあるし振動も大きいが、家庭が自給するためなら振動もないし、ゆったりと使うことができる。すると想定以上に使える可能性もある。これで世界が戦争してまで奪い合ってきたエネルギーの心配がなくなるのだ。
今の電気の仕組みは中央集権で、大きな一か所の発電所から各地へと電気が送られていく。どこかで電気が途切れれば、システム全部が止まってしまう。「ブラックアウト」という事態が起こると全体に広がってしまう。電気は送電線網全体で確保され、各地に生まれる小さな電気を受けられない。しかも送電線網は原子力優先に確保され、ガラガラなのに自然エネルギーを受けられない。
しかも電気は排熱・送電ロスのために化石エネルギーから電気が届くまでに63%を失う。日本の二酸化炭素排出量の最大の原因は電力会社の「エネルギー転換部門」にあるのだ。そして送電で電気を失うことを避けるために高圧送電線網を全国に広げて、変電しやすいように交流の送電にした。これをさらに強化しようと送電線をさらに強化しようとしている。しかし家庭のような小さな電気には、地域の小さな自然エネルギーの電気で十分だ。ところが電気の三分の二は巨大な事業所が消費するのに、料金の支払いは小さな家庭からの電気料金だ。
このクモの巣のような送電線から離れて、地域ごとの電気へと変わっていくなら電気料金の負担も、馬鹿げた送電ロスからも離れられる。各地域で小さな電気を集めて貯めて消費した方が、効率的になる日が来たのだ。小川が流れるなら小さなピコ水力発電で、日が照るなら太陽光で、ほんの小さな電気を集めて暮らしていこう。風車やメガソーラーは発電量が大きすぎる。私たちには小さなエネルギーで自給していけばいい。
我が家に太陽光発電と中古リチウムバッテリーを設置してくれたのは、自給エネルギーチームの「自エネ組」だった。エネルギーは自給していくべきものだと考えて、地域の仲間たちと設置していく運動だ。中心的なメンバーが近くにいたから設置できた。全国に設置するのではなく、各地で市民自身が設置母体となるような動きをしてほしい。
今回の仕組みでは、本当にメンテナンスフリーになった。バッテリーを痛めるようなことさえしなければ心配がいらない。「北の国から」のドラマから40年で、ここまで社会は変化した。今もし五郎さんがいたなら、どうしただろうか。慎ましく借金さえしなければ、持続的に暮らせる基盤ができた。
さらにこの仕組みに、未来バンクは融資しようとしている。地域の人たちが出資金を担保してくれれば、その金利は一%まで落とせる。しかも単利だ。私たちが自分で自分の地域の信頼を高めるなら、社会の仕組みは変えられる。そんな時代が来たのだ。
(2021年6月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意 を得て転載しています)