坂本龍一さんが立ち上げた「ストップロッカショ」と「すべてを台無しにする再処理工場の稼動」

2007年に発売された本「ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ 」にも協力させて頂いた。

STOP ROKKASHO(ストップ ロッカショ)は、坂本龍一さんが中心になって立ち上げたプロジェクト。

​青森県六ヶ所村にある六ヶ所村核燃料再処理施設による放射能汚染の危険性を訴え、止まることを願って作られた。

坂本さんはこのプロジェクトにあたりこう言った。

「この状況を無視し続けることは、道端で人が倒れているのを知りながらも素通りすことに等しい」

と。

2006年から坂本さんが反対し続けた再処理工場は、17年経った今(2023年現在)もなお建設を続けている
これまで度重なるトラブルで26回もの延期をし、それでも2024年の完成を目標としている。

これまでに一体いくらの税金がこれに流れているのか?

それが稼働したらどうなるのか?

これはその発売当時に書いたぼくの原稿。

皮肉なことに、これを書いた時点ではまだ311原発事故は起きていなかった。

記事の中で「今、日本の食物の放射能汚染は、ほぼゼロである。」とあるが、これはもう昔の日本のことだ。

もう二度とこんな汚染を起こしてはならない。

坂本さんは反対し続けた。多くの人に知って欲しいと願っていた。

まだ私たちの反対運動は終わっていないのだ。

ミスチル桜井さんやUAさんたちもメッセージを送ってくれています

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『すべてを台無しにする再処理工場の稼動』田中優                             

​※2006年に書いた原稿です

<青森・六ヶ所村、再処理工場>

 ついにこの日が来てしまった。青森県六ヶ所村、再処理工場の稼動だ。再処理工場と聞いてもなじみのない方も多いことだろう。これは原発から出た使用済み核燃料から、ウランなどを取り出す施設だ。​

ところが取り出すには、せっかく燃料棒に格納されている放射能を切り刻んで外に放たなければならない。そこから取れるのは核兵器以外には役立たないプルトニウムと、新品を買った方がはるかに安いウランでしかない。​

日本政府は強引に「プルトニウムをウランと混ぜて核燃料として使う(これが今各地の原発で問題になっているプルサーマルだ)」と言うが、諸外国は納得していない。なぜならイラクが攻撃されたのも、イランが攻撃されようとしているのも、これよりはるかに稚拙なレベルの核燃料を開発しようという疑いだったからだ。

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 そしてこの作業のとき、放射能が撒き散らされる。量的に莫大なのは不活性なガスであるクリプトンガスだ。その量、33京(京は兆の一万倍)ベクレルという天文学的な量である。ただ、他の物質と化合しないガスだから、人体に吸収されもしないということでそのまま放出される。

しかしこのガスは重いので、煙突からすぐに落ち、周囲の人たちが呼吸しているさなか、肺の中で放射能を出す。その被害は予想外に大きくなる可能性がある。統計を見ると喫煙率が下がってきているのに、肺がん死亡率は逆に上がってきている。たばこを擁護するつもりはないが、アスベストを含め、他の原因があることを考慮しなければ説明がつかないのだ。

​ 一方、量的に多くはないが、危険なものもたくさんある。放射性炭素はコメを汚染し、生の時点で90ベクレルの汚染をする。トリチウムは三陸沖の魚を300ベクレル汚染する。これらのデータは青森県が公表している値だ。

​ 今、日本の食物の放射能汚染は、ほぼゼロである。政府の食品の輸入基準は370ベクレル以下であり、生活クラブ生協の自主基準は37ベクレルとなっている。それと比べるといかに深刻な汚染か分かる。しかも県のデータは放射能の蓄積を反映していない。奇妙なことに毎年ゼロの汚染から始まることになっているのだ。実際には汚染が蓄積されていくというのに。

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 風向きは「ヤマセ」と呼ばれる北風、海流は三陸海流で同じく北向き、三陸海岸と青森・岩手県を直撃する。三陸沖の魚介類も、東北地方の農産物も、食べるのが困難になってしまう。同じ再処理工場を持つイギリスでは、小さじ一杯が全人類の致死量になる猛毒プルトニウムが、北極海まで汚染している。同じ縮尺で日本を描くと、日本全体がすっぽり入る広さだ。長く続ければ、日本全体が同じように汚染される。

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<汚染される日本の食料>

​ 放射能の怖さは、外から放射線を浴びることだけではない。それよりはるかに深刻な被害がある。それは食べ物として体内に取り込まれる被害だ。地球上に存在しなかった新たな放射能が原発で作られ、それが放出される。

​ 生物はそれが放射能と化しているとは知らないから、栄養と勘違いして体内に貯めこむ。これを生物濃縮という。その濃縮された放射能が、微生物から小魚へ、さらに大きな魚へと濃縮されていき、最終的に人の体に入る。ものによっては数万倍濃縮されることもある。

​ 食べ物として摂取するということは、放射線を外から浴びるのではなく、体の中から撃たれることを意味する。放射能の被害は「距離の二乗に反比例」するから、1メートル離れた場所から放射線を浴びた場合と、体内の細胞表面、0.1ミリの距離から撃たれた場合とでは、距離(1万分の1m)の二乗に反比例して1億倍になってしまう。

​ すると排出した時点で一兆分の一だから問題ないレベルと言われていたものが、生物濃縮で一万倍×距離の二乗で一億倍、合計で一兆倍となってしまう。「濃度が低いから問題ない」というのは通用しないのだ。

 しかも大人に対しての影響を1とすると、子どもでは10倍、胎児では100倍になると言われている。このメカニズムは簡単だ。受精細胞は細胞分裂を繰り返して成長し、大きな体になるのだが、その最初の細胞が放射線によって異常になってしまえば、そのコピーもすべて異常になってしまうからだ。異常が大きければ、出生前に死産する。

​このグラフを見てどう思うだろうか。日本では、大気圏核実験のあった間中、異常に死産率が高くなっていたのだ。本当は私たちの周りに、もっとたくさんの人がいたはずだった。核実験のために、1000人中100人、つまり10人に1人を超える胎児が生まれる前に消されてしまっていたのだ。

​ しかし、今後は継続的に汚染されることになる。日本にいる限り、六ヶ所村・再処理工場の放射能からは、逃れることができない。

<経済的で持続可能な自然エネルギーに変えよう!>

 なんとしても六ヶ所村の再処理工場は稼動を止めるべきだ。経済性もなく、汚染を広げ、将来の見通しもないのだから。イギリスの再処理工場は、昨年危険な事故を起こして停止中で、間もなく廃止が決まる状況だ。プルトニウムは危険な上に処理費が高く、プルサーマル実験をしようとする原発地域では、猛反対に遭っている。

 本来の目的だった「高速増殖炉」での利用はもんじゅの事故で頓挫、しかも今やプルトニウムを「増殖」させる計画はない(「高速」というのは中性子の速度のことで、高速に増殖するという意味ではない)。「ウランを繰り返し利用するから準国産のエネルギーになる」という理屈もすでに成り立たなくなっている。

​ 長野県の建設会社などは、オリンピック開催前の時点で、「もうオリンピックは来なくてもいい、仕事はすべて終わったから」と言っていた。その例にならえば、もはや止めても誰も困らない。困るのは濡れ手に粟の補助金をあてにしていた県や自治体、それと事業者である核燃サービスだけだろう。そんなものは困ってもらっていい。少なくとも日本中すべてが困る事態に比べたら、物の数ではないだろう。

 こうした原子力の資金源を調べてみた。原子力には国から4671億円(2003年)の予算付けと、777億円(2002年)の税制優遇を受けている。もともと原子力を傘にして配らなくても、自治体に配れるだけの原資はあるのだ。

 合計、年間5448億円もの国からの支援に驚くが、さらに財政投融資からの融資が1兆7680億円も支出されている。これも再びわれわれの貯蓄(財投は郵貯・簡保・年金が資金源)だ。ここでもぼくらの貯蓄の問題が顔を出す。貯蓄に意志を持たせなければ、勝手に使われてしまうのだ。

 原子力予算は作られた1954年時点から巨額だったが、補助金の国家予算全体に対する比率で見ると、1957年には現在の比率になっている。ということは、現在価値で毎年5000億円が約50年間続いていることになる。現在価値で言うなら、累計で25兆円が補助されたことになる。

もし合計25兆円を50年にわたって自然エネルギーに補助していたなら、とっくに自然エネルギーの方が使えるものになっていたはずだ。なぜなら今の時点ですでに自然エネルギーからのRPS法による購入価格によれば、緑の価値を除けば2円から3.9円となっている。つまり一番安いとされてきた5.8円(資源エネルギー庁試算2000年)よりもずっと安いのだから。

​ 愚かしい命がけの発電はもうやめて、人と自然が生き続けられる自然エネルギーに変えていこう。だから六ヶ所村の再処理工場にはさっさと引退してもらうのが一番いい。