日本がなくなる?
人々の心がざわついている気がする。歴史上何度も「末法思想」が唱えられ、今の世代が最後の世代とばかりに世間はざわついた。その新しいバージョンが、今回の「国立社会保障・人口問題研究所」の発表した「日本の将来推計人口」ではないか。人口が減少していくのは確かだが、この推計は2065年までの推計だが、そのままのトレンドが続くとすれば、西暦3000年には日本の人口が2000人になってしまうのだ。
これを受けて地方はインフラを維持するのが困難になり、人々は地方都市に移り、やがては都市部だけに人が集まるようになると予測する人もいる。もしこれが事実になるとしたら末法だ。もし日本の地方に住んでいたら、イノシシに会うより人間に出会う方が難しくなる。購買力を失った人々は自給せざるを得ず、生産力ももちろん失う。人間は日本の片隅にまとまって住まざるを得なくなる。特に地方は絶望的だ。そこに住み続けることもできなくなり、この日本の文化も失われてしまう。
この予測は誤っていると思う。それは人口曲線などを、ただ今のトレンドに従って直線的に伸ばしただけのもので、諸条件の変化を無視していると思うからだ。もちろん統計そのものにもエクスキューズは書かれている。いわく「ただし将来推計人口とは、決して確定した運命を示したものではない。それはこの社会がこれまで進んで来た方向に進み続けたときに帰結される人口の姿であり、将来推計人口とは真に実現したい社会と現状との距離を測るための測距儀にあたる。どちらの方向に進むかはわれわれに託されているのである」と。
これを将来予測のために参考にしてほしいというが、参考にしたら「末法思想」になってしまうのだ。参考にするとしたら「今のままではいけない」という方向に参考にすべきではないか。国の政策が以下に誤っていて、そのままにしたらどんな未来が来てしまうのかと読むべきではないか。
これを今進展しつつある事態から考えてみよう。
別な未来を考える
かつての電話料金を思い起こしてほしい。かつてぼく自身の姉が沖縄に住んでいて、そこに電話することが多かった。電話料が安い深夜に電話していたが、一回の長電話で一万円以上かかっていた。もう忘れてしまったが、これが少し前までの現実だった。電話代が高すぎて、電話するのを月一回にしていた。しかしもし今なら、スカイプを使った電話にしたりメールにしたり、携帯の使い放題契約にしていただろう。気づかぬうちに大きく変わっているのだ。同様に宅配も発達した。今なら重くない負担で送ることもできる。
そして大きく変わったのはもう一つ、インターネットの販売が利用できるようになったことだ。家電などの量販店で製品を吟味したとしても、かつてのようにそこで買わずにインターネットで商品価格を調べて、注文するようになった。その宅配料金も安くなった。
そのおかげで商品販売の形も変わりつつある。先日ニュースで、玩具量販店の「トイザらス」が破産申請したと報道された。いわく旗艦店のニューヨーク店の地代などの負担が大きすぎるためと言われる。このことは時代の変化を大きく示すことではないか。
我が家のある岡山の郡部で、うまく経営している家具屋さんとゲーム屋さんがある。なんと家具屋のインターネット販売比率は八割、ゲーム屋では99%だという。そこでの地代などは大きな負担ではない。どちらが持続性のある販売方法かは明らかではないか。こうして見たときに、地方がイノシシしか会わない場所になるとは思えないのだ。
もう一つある。
知っての通り、我が家は水も電気も自給している。水道は法律から改正し、民営化を目指している。水道管の更新が1%に満たず、料金の値上げができずに管路の更新すらできなくなるという事態に、人口減少が重なって民営化を進めるのだ。しかし残念ながら世界のトレンドは「再公営化」になっている。
水道の料金が高くなる上、水質悪化を招いたためだ。料金を値上げしたとしても自給していれば困ることはない。電気も同様だ。電気も送電線の劣化が進んでいる。2020年に電力自由化がさらに進展して送電線網が自由化されることが決まり、送電線網に費用を掛けても回収できないことから、電力会社は整備に熱心でなくなったためだ。これもまた値上がりが予想される。
インフラが危うくなっている一方で、自給できる可能性が高まっているのだ。新聞も取らなくなった。必要な情報は自分から取りに行けばいいし、一般のニュースならどこのネットでも公開している。わざわざ新聞を届けてもらわなくても良い時代になった。
自動車は世界で電気自動車に変わろうとしている。そのときの電源は自然エネルギーからの電気に変わろうとしている。発電効率が4割しかない既存の電力会社の電気を使ったのでは、地球温暖化対策にならないからだ。我が家もいずれは自宅で使った電気を使って走らせようと思っている。
大事なのは変更するためのコストだ。その費用も技術の進展とともに安くなりつつある。インフラに依存しなくても得られるとき、なぜわざわざ都市や地方都市に移住しなければならないのか。
見方を変えよう
こうした未来の可能性を見るとき、地方が崩壊して無人化するという想定が間違っていることがわかる。地方が有利だが、今までのように都会化させること地域おこしでは解決しない。地域は地域のメリットを最大に活かすことが地域おこしになるのだ。
そして人口減少の大きな要因になっているのは、暮らせるだけのサラリーが得られなくなったことだ。でも地方ではカネが十分に稼げなくても暮らせる可能性が高い。その可能性がさらに広がったとき、子どもを持たない決意をするだろうか。現実に311事故からあと、岡山県に移住してくる人は多い。我が地域は人口減少が緩和されたほどだ。そしてその移住者の人たちは子どもをもうけることが多い。
今までの濁った見方を捨て、新たな可能性に向けて進むべき時なのではないかと思う。
(2017年10月、川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。) |