生命は奇跡的  

生命体は時に不思議なことを起こす。

中でも特に不思議だったのは、巻き貝の仲間であるウミウシ類の一部の種は、餌として食べた藻類から、葉緑体を自分の細胞内に取り込み、数ヶ月に渡って葉緑体の光合成能力を維持し、そこから栄養を得ることができる点だ。

すごく大雑把な括りでいう、動物のくせに植物の専売特許と思われている「葉緑体」を、全然関係ない生き物であるはずのウミウシが「盗んだ」というのだ。現象名はまさに「盗葉緑体現象」と呼ばれている。

研究が進むと、光合成に関連する藻類の遺伝子はウミウシの核に移動していなかったことがわかった。これは、「遺伝子の水平伝播」を伴わずとも、光合成のような複雑な生物機能が種を超えて伝播しうることを意味しており、生命の進化を考える上で大きな発見だという。  

こんなことが起きるのだとしたら、食料が不足して絶滅を目前にした動物たちが、光と空気と水だけあれば、存続できてしまうではないか。いや、それはいくら何でもデタラメすぎると思うのだが、生物進化には確定的な法則でないのかもしれないとすら思ってしまう。これは「基礎生物学研究所(大学共同利用機関法人自然科学研究機構)」のデータだから信頼できる話だと思うのだが。 https://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/2021/05/27.html  

それを「生命の奇跡」と呼ぶとしたら、逆の意味で奇跡的に不都合も起こるだろう。どうやらそれが農薬環境ホルモンと呼ばれる「内分泌ホルモンかく乱物質」や、様々ある有害化学物質の起こす有害現象のことではないだろうか。

非常に大雑把に捉えると、生命の発達には「脳神経系」と「内分泌系」とがある。人間として成長していく過程で、二つの方向から成長が促されていくのだ。ところが成長して形成されていく「人間」としては一つだから、いろいろな部品が流用して使われていく。

例えば男と女では大局的な位置にあるが、それぞれを促していく「テストステロン(代表的な男性ホルモン)」と「エストラジオール(代表的な女性ホルモン)」とは化学構造が非常によく似ている。こうしたことは進化の過程に理由が隠されている。もともと進化は単純なものから複雑なものへの進化で、そこではなるべく流用しやすい物質が選ばれる。しかも効果は相反する効果のある物質を組み合わせて、いわばアクセルとブレーキのように調整することが多いのだ。ここで流用される物質も多い。しかもそれは最近になって理解されたばかりのことだらけなのだ。

たとえば生命活動の中心なのだから脳からの指令によって生命活動が維持されていると考えられてきたのだが、実は体内の臓器から独立して指令が出されていて脳を経由しない仕組みも多い。人が存在するためには外敵を排除する「免疫機能」が重要になるのだが、その免疫を七割を司っているのがであり、その指令の制御のために使われる物質もまた腸内で作られた物質そのものであったりする。まるでウミウシが「葉緑体」を取り込んでしまったみたいに。

https://www.greenhouse.co.jp/wellness/memo/2021/202106/index.html

こうして精緻に作られた人体でありその後の成長に備えた仕組みなのだが、そこに横入りしたのが人造の有害化学物質だ。それが今、ヒトの増殖を妨げたり、存続を危うくするまでに増加した。新たなものを作り出して売って儲けようとする意欲が強すぎて、安全性を確認するよりずっと早く売って儲けようとするからだ。その動機は今や新たなワクチンを売って儲けることの方が、ワクチンの安全性の確認を上回ってしまった。ますますこれから危険になる。

疾病の危険性とワクチンの危険性を確認するのは本人の役割とされてしまっていて、信じられるだけのデータもエビデンスもないままなのだ。そんな中で人々は曖昧な周囲の噂を信じている。信じていいだけの根拠もないままなのに。  

私はなるべく過去からある長年の経験を信じる。自分の中にある免疫の力とそれが十分発揮される基礎体力と、必要と考える物質の摂取だ。可能な限り不必要で不自然なものは摂取しないようにしている。体内の基礎的な免疫を信じて、なるべく余分な化学物質は体内に入れないようにしている。特別な疾病がなければ、それで生き抜くのがいい方法なのだと信じている。

要は昔からある基礎的な自然治癒力に任せようとするのだ。だからそれを妨げる物質は家の中に置かないし、不自然に感じるものは使わない。臭いは特に意識する。なぜならヒトがヒトになるはるか以前から、警戒するための感覚だからだ。ところが今の住環境は臭いをより無臭に感じる臭気でごまかそうとする。より強い臭気はより危険な臭いだ。自然と共に生きていた頃の木材の臭いならいいが、香りをよくするための臭気は危険だ。  

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そのためには体の中に取り込んでしまうものに注意を向けたい。食べ物、飲み物は大丈夫なものなのか。それ以前に住まいはどうか。ヒトは息をせずに眠ることはできないのだから、呼吸する空気の安全性が大事だ。そう考えて「天然住宅」という安全な住まいづくりをめざした。そこでは面白いことにベビーブームが起こった。もしかすると安全な環境を作れば、まだまだヒトは生き続けられるのかもしれない。  

ヒトがウミウシのように光合成を得て自然に生きられる日は来ないだろう。しかし周囲の自然からエネルギーを得たり食べ物を得たりして、争うことなく生きることなら多くを望まなければできると思う。現に我が家には送電線も水道もつながっていないが、現に普通になら暮らすことができているのだ。

自由に暮らすためには、何が必要で何が不要かを、自分で見極めればいいのではないか。ヒトが長年の生命進化の中で得てきたものは信じていいのではないか。決して裕福とは言わないが、最低限必要なものは手にすることができると思う。そこから未来を考えると、真っ暗な未来だけではないと思うのだ。

(2023年6月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています)