なぜ急ぐ「改正国民投票法案」

  誰もが不機嫌そうに思う表情を浮かべた閣僚は、長く続く政権ではないと思っているのに、その出してくる法案を阻止することができずにいる。今回の「国民投票法案」は、要するに憲法をスムーズに変えられるようにするための地ならしだ。

 いくつもの無意味そうな法案が並び、たいした法案ではないと思っていると、いつの間にか誰かの利益のための地ならしが終わってしまう。その焦点は面倒なうるさい市民たちを黙らせて、大企業が好きなように進めるための条件整備だ。  

「重要土地調査・規制法案」なんてものも進んでいる。「安全保障上重要な施設周辺の土地の利用実態を調査し、規制する法案」というが、主に自衛隊やアメリカ軍基地、海上保安庁の施設、それに原子力発電所など重要インフラ施設のうち、政府が安全保障上重要だとする施設の周囲おおむね1キロ、また国境に関係する離島を「注視区域」としている。  

その区域内の土地や建物の所有者、借りている人を利用実態を調査し、必要に応じて報告を求め、応じない場合、罰則を科すという法案だ。ここに列挙されている「原子力発電所 」は廃炉するのではなく その一キロ以内で反対することができなくなる。      

しかし政府は今そのような法律が必要となる具体的な事実(法律用語で「立法事実」という)があるのかと問われると、「具体的にはないがまず調査したい」というのみだ。中身はないが、罰則付きで調査し、実質思想調査し、行動規制する法案だ。これは憲法の定める基本的人権の侵害になる。それをごり押しして成立させられれば、不機嫌閣僚たちの役割は終わるのだろう。     

しかし逆に人々はその法に支配される。「軍事基地」が対象だとすれば、実質的に憲法の三大原則の一つ「平和主義」が危うくされる。同時にもう一つの大原則「基本的人権」が壊されていく。そもそも国があるから国民なのか、人々あっての国なのか。これを明確にしているのが憲法の三つ目の大原則「国民主権」なのだが、こちらを壊そうとするのが「憲法改正論議」だ。     

従来の憲法は、国家の主権者とは国民だった。ところがそこに世界的な資本力を持つようになった「多国籍企業」を入れれば、一連の法案改正の意味が見える。その改憲するのに必要な国民投票を資本側に有利なものにしようとするのが「改正国民投票法」なのだ。それが証拠に非常に甘い農薬などの食品規制をさらに引き下げ、人々の健康を危うくする福島原発汚染水を希釈するのみで放流しようとし、取引しやすいように「貿易基準」を定めようとしている。     

現に使われているワクチンには効くという証拠はないとしながら接種を推し進め、「他県の出かけないように」と言いながらオリンピックだけは強行しようとしている。   

私は中学・高校時代から通学するのが苦痛だった。しかし、大検を受けて通った大学生時代は楽しかった。大学では答えを強制されることはなく、自分で好きなように学んで考えることが許されていた。大学時代になって、私は初めて考えを評価された。「こう考えなさい、こう答えなさい」という檻から初めて出ることが許され、大学では他の学生の二倍ほどの科目を履修した。法学部に進んだ私の考え方を「憲法」がそれを下支えしてくれていた。そして上級公務員試験にパスして就職した時、宣誓書を書くことに身構えていた私に渡されたのは「日本国憲法を遵守することを誓約すること」だった。もちろん喜んで宣誓した。     

それまでは零細企業の社長の指示通りに働いていたから、人々のために働けるのはうれしかった。そしてもう二度と不当な扱いをされたくなかった。大卒で勤めると、「幹部候補生だ」と持ち上げられて、不正な処理を持ちかけられることがある。しかし私はたかが一介の町役場の職員のくせに、持ち上げられて舞い上がるのは滑稽に思えた。そして組織内で低い扱いを受けながらも昇進試験を希望せず、一介の平職員のまま過ごした。    

ある時、同じ職場の上司が不正なことを進めようとしたことがあった。私は特別区人事委員会に確認した上で上司にそれを断念するよう求めた。またある時は、「幹部候補生なのだから、この程度のことは従いなさい」と、上司が私に不正な決定をするよう求めてきた。条件に合わない人を優先して保育園に入れるよう求めたのだ。私はその命令に従わず、不正な処理をしなかった。またある時は仲間と不正を問題にするビラを作り、時間外に庁舎内に配ったりした。   

自治体外部の原発を推進する組織から、名指しで匿名の嫌がらせを受けたこともある。それが発展し、他の区までを巻き込んだ騒ぎにまで発展した時、区の人事部から呼び出された。しかし人事部の担当者は言った。「あなたがどのような信念を持とうがそれは問題ではない、憲法に定められている通りだ」と。     

そう、私が一見カゲキに見えるような活動ができたのも現在の憲法のおかげだった。私は憲法の後ろ盾を得て、信念を曲げずに生き延びることができたのだ。しかし私が勤務している頃すでに、「違法な職務命令であっても断れない」とするのが行政法の通説となっていた。すると従わないとなれば、少なくとも判決を待たなければ適法と判断されなくなる。悪くすれば「職務命令違反で解雇」もしくは「違憲立法審査で法を無効にする」しかなくなる。それによって信念に従えなくなる人たちが生まれることを望まない。抵抗してでも不当な命令には拒否できなければ忖度ばかりのおかしな社会になってしまう。     

私は次の時代の人たちが無用な苦しみに悩むことがないよう、基本的人権が守られるようにしておきたい。住民に違法な圧力を掛けるような法は作らせてはならない。人々が職員となったときに、不当な命令に従わなければならないとは思わない。私たちは一人の人間として、正当に生きていける信念を持つべきだと思う。憲法の規定は一見すると無価値な言葉の羅列に見えるかもしれないが、人々の意思決定に大きな意味を持っている。私が自分の信じるところに従って生きていいと下支えしてくれる存在だったのだ。    

私はこの憲法を守りたい。