EV(電気自動車)の向こうに原発が見える

田中優有料・活動支援版メルマガより

(上の図に走っているのはディーゼル車で、ドライバーは「すごく汚い」と感じている。ところが下の図は電気自動車で、ドライバーは「すっごくきれい」と感じているのだが、 コンセントのつながっている先の発電所からはガンガン汚い煙が出ている 。要はこんな風に自分の見えないところで煙を排出させるだけのように思えるのだ。田中優有料・活動支援版メルマガ より)

 
 子どもの頃、自動車が大好きだった。叔父にねだってモーターショーに連れて行ってもらうのが楽しみだった。その後近くにも自家用車を持つ人が増えてきて、車はなんだか身近なものになってきた。でもそうなる頃には興味を失ってしまった。中学生になって母を亡くしたり、他のことに忙しくなってしまったからかもしれない。ずっと遠ざかっていたぼくが再び車を意識したのは二十歳近くなって、大学を受験しようと思った頃だった。

 ぼくは高校を出ていない。大検という資格試験で大学の受験資格を得たからだ。それまで夜間高校に在席していて、出席不足で落第が決まったが、大学受験資格は得ていたからそのまま辞めた。しかし一人きりの受験勉強、競争相手のいない受験は難しかった。そこでぼくは昼間は仕事、夜は学校に加えて、教習所通いを加えることにした。焦りの気持ちがやる気を起こさせると思ったからだ。おかげで受験に成功、大学に進学した。その頃になってやっと、半年かかって免許証も取得した。

 すぐに中古車を買い、ドライブにのめり込んだ。ただ自分の好きな時に、自分の好きなところに行けることが楽しかった。ボロ車だったが、楽しくてあちこちにドライブした。大学に通うよりドライブしている方がずっと楽しかった。その後も車を乗り換えては、ずっと乗っていた。ぼくにとってクルマは、自分に自由を感じさせてくれた経験だ。

 そのクルマが2035年にガソリン車の新車販売禁止になり、EV限定にされるそうだ。あの懐かしいボロ車で走り回っていた時代が終わるようで、なんだか寂しくもある。しかしぼく自身もやがて地球環境問題を気にするようになり、クルマの環境負荷も気にするようになっていた。しかし思うのだ。

本当に電気自動車化が唯一無二の選択肢なのだろうか

 これはどうにもすべての問題を「電気というブラックボックス」に押し込んで、見えにくくさせているだけではないか。日本の温暖化対策はほぼ無策だ。その先には、「発電時に二酸化炭素を出さない原発(それ以外では膨大に出すし、発電効率が低すぎて話にならない)」を再度復活させるつもりだ。あの高くて危険で未来のない原子力に。

 地球温暖化を進める二酸化炭素の最大発生源は「エネルギー転換部門」と呼ばれる「発電所」なのだから、発電こそやめるべきものだ。それをガソリン車を悪者にして、EV化で乗り切ろうとしている。しかしEV化は、ガソリンをそのまま燃やすより悪化させる可能性がある。なぜなら工程を複雑化させればさせるほど、エネルギー効率は下がるからだ。発電という無駄なプロセスを増やすことで悪化させる可能性が高い。

 効率の悪い原発は、ドイツでは熱の10%しか電気を生み出せないとされており、原発建設費の高騰に加えて、福島原発事故によって急ブレーキがかかった。そのため火力発電に頼らざるを得なくなって電気料・ガス代を高騰させている。しかし温暖化対策をしなければならない時期にこのままではまずい。そこで政府は「(二酸化炭素を出さない)カーボンニュートラルの実現に向けて」と銘打って、「水素・アンモニアを燃料として利用する方針」を示した。しかしその「水素・アンモニア」は、東南アジアや北米、ロシア、オーストラリアの天然ガスや褐炭を使うもので、ちっとも化石エネルギーの利用削減につながらない。温暖化対策ではなく、「電気というブラックボックス」に押し込めただけのことだ。

 水素自体を発電ではなく直接燃料とする「水素自動車化」もまた困難だ。水素自動車開発のために、水素を貯蔵できるタンクの制作に成功したことは画期的だが、水素は自然界に存在しないから、やはり化石燃料を使って生み出さなければならない。しかもそこから燃料電池で電気を生み出しても、熱ばかり生まれて電気になるのはせいぜい40%だ。

それなら天然ガスを使ってそのまま発電した方が効率が高い。EV化を進めているが、「日産ノートEパワー」はガソリンを発電のためだけに使ってエネルギー効率は51%を記録している。ここまで効率の高いものが出てくると、発電所はおろかハイブリッド車ですら追いつかない。

 あとは最初から石油を使わないというクルマの可能性もある。EU議会では「農場から食卓戦略」(Farm to Fork Strategy, F2F戦略)を賛成多数で可決した。小規模農場を推進しながら食卓だけでなくエネルギー自給までを構想している。

たとえばぼくが使っているのはクリーンディーゼルだが、黒煙を出さないばかりか走行効率もリッター22キロと、とても高い。

実際、この軽油に変えてバイオ燃料を使って走らせることもできる。つまりかねてからのレシプロエンジンの燃料を化石燃料に代えて廃食用油にすることもできるのだ。廃食用油なら二酸化炭素の排出はゼロだし、その実現は難しくない。

 

 ここから考えると「電気自動車」に未来を閉じ込めて、結局利権の大きい原子力に戻そうとする下心が見え隠れする。本来の電気は「ブラックボックス」なんかじゃない。きちんと測りさえすれば明らかになるものを、わざとわかりにくくして、データの改ざんをしているだけだ。EV化するなら、我が家のように自宅で発電している電気でない限り、勧めない方がいい。そうしないと数値が改ざんされるから真実が見えなくなるからだ。

 

 クルマの未来は、EV化だけに限定すべきではない。友人のやっている工場では、発電の燃料もバイオ燃料だし、大型車を含め各種の作業車を動かすためにも、すべて廃食用油からのバイオ燃料を用いている。寒くなると動きにくくなるので普通の軽油を混ぜなければならないが、それでも冬場以外はバイオ燃料のままでいい。

 

 この可能性を奪ってまで電気自動車化するのは誤った政策だと思う。それで全国津々浦々にまで広がってくれたら、心の痛みもなく自由に出掛けられるようになる。ぼくはかつて自動車に乗り始めた時に感じた自由な広がりを、もう一度味わいたい。良心の痛みなしに出掛ける道具は電気だけではない。むしろ経路を複雑にすることはごまかしの手段になって真実を遠ざける。単純な仕組みこそが望ましい未来だと思う。

 クルマの先に原発が透けて見えるような未来にはしたくない。行き先には輝くような緑と空が見えた方がいい。

  (2021年10月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています

****  この情報をより詳しく!という方に ****

2021.10.30発行の田中優有料・活動支援版メルマガ 
「クルマの未来は電気自動車だけでいいのか?」をご参考ください。
https://www.mag2.com/archives/0001363131/2021/10


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2021年10月