文明は折り返しのときを迎えた

この6月12日に「ウォールストリートジャーナル」に紹介された記事「天然ガスを脅かす蓄電池、変わる米電力業界」は、ついにここまで進んできたことを証明するような記事だった。

「米エネルギー大手ビストラは全米最多クラスの36基の天然ガス発電所を有しているが、これ以上は発電所を買収または建設する予定はない
代わりにテキサス州とカリフォルニア州で太陽光発電所と蓄電池に10億ドル以上を投資し、新技術によって変貌しつつある電力業界で生き残るため、事業の転換を図る意向だ」

という。

ガス火力に投資して、その資金が作ったが役立たない「座礁資産」にならないように気に配っているという話だ。政府におんぶにだっこで守られている日本の電力会社と違って、アメリカでは何を未来に選択するかで会社が倒産したり、業績向上させたりできる。ある意味で健全な資本競争なのだ。

 そのため発電所を建設したら最後、未来にわたって損得勘定を決めてしまう。約20年は使わなければならない発電所に、従来のようにガス発電に投資して良いのかと迷っているという話だ。

 ガス発電はガスを買い、発電施設を建てて電気にして販売する。しかし太陽光発電などの「再生可能エネルギー」なら燃料を買う必要がない。発電施設を新たに建てる必要もなく、すでに他で発電された電気を買って蓄電すればいい。ガス火力は電気の需要にいち早く対応でき、地球温暖化を防ぐ観点からも化石エネルギーの中では最も優れたものだ。 

 ところが世界は変わった。今の時点で価格がほぼ同じになったのだ。太陽光発電で作られた電気を充電して送れば、そもそも発電所を自分で持つより有利になる状況が生まれたのだ。しかし現時点で、建設してから20年先を予測しなければならない…。   

 ここで予測できる近未来を見てみよう。リチウムイオンバッテリーが高かったというのは過去の話になりつつある。一番一般的なリン酸鉄リチウムイオン電池は今や充電式工具や自動車などに一般的に使われ、量産効果で価格も急激に下がっている。しかもここに蓄えられた電気は自然放電してしまう部分も年に5%以下で少なく、日本の排熱と送電ロスが63%もあることと比べたら、「月とスッポン」だ。日本ならどっちを選ぼうかと悩む意味すらない。しかしアメリカでは、この当たり前の「月とスッポン」で悩み始めたのだ。 

 しかしリチウムの資源量には不安がある。しかし必ずしもリチウムに頼る以外にないわけでもない。しかも東芝が開発した「SCiB」を見ると、即座に充電して放電でき、低温でも性能が落ちない。今後の開発を考えると、発電所を作るよりも自然エネルギーの電気を買って貯めた方が安いかもしれない。それを悩んでいるのだ。しかもアメリカでは、これを高圧送電線網のレベルで検討している。家庭などの低圧送電線のレベルではないのだ。   

 これはグリッド(送電線網)をも巻き込んだ電気の革命だ。それなのに日本では数世代遅れた原発の新設や再稼働を検討中だ。それがどれほど遅れた話だかわかるだろうか。洋服で正装したパーティーにチョンマゲで登場するようなものだ。経済面で、日本が世界の中で取り残された存在になっていることを象徴するような事態だと思う。   

 ところが現在の政権は、原発を再稼働させようとしてみたり、全国にさらなる送電線網をつなげようとしている。これは「電気の革命」から考えたら逆行する事態だ。船頭が古くて頭が悪くて、乗客は沈没しようとしている船にいるみたいだ。 

 これをまとめてみると、化石由来の燃料を用いて発電するような時代はもう終わろうとしている。発電の時代も終わり、電気は自然から得て蓄電する時代になろうとしている。これまでの発電所のような施設は、次々と座礁資産となっていく。その折り返し地点に私たちはさしかかっているのだ。

 これからの未来には枯渇性の資源はいらない。使っても減らない更新性の資源を効率良く使って、持続可能な時代に入るのだ。これからは本当に必要な資源であるかどうかを吟味して、原子力のような無駄な開発をやめよう。今にして思えば、火力発電も化石燃料を用いる自動車も必要がなかった。もしかしたら捨て石として役立ったのかも知りないが、もう寄り道するだけの資源の浪費はしていられない。   

 ガス火力発電を捨てるしかなくなった現在、文明は折り返し地点に差し掛かったのだ。でもその時代が示した従来型の常識なども捨てる必要がある。ドイツでは海外から運ぶ天然ガスは、日本のように1と数えるのではなく運んでくるために要した資源を加えて1.1と数えるのだそうだ。おそらく超低温にして液化天然ガスにして運ぶ日本なら、1.3程度に数えなければならないだろう。 

 そして日本では電気の発電効率を、36.9%と固定されている。固定されていること自体おかしいが、電気にまつわる数値はおかしいことだらけだ。電気のコストについて龍谷大学の大島堅一さんが明らかにしたように、各分野についての本当の数値を再計算する必要がある。そうしないと、間違ったデータに基づいて政策を考える誤りに陥ってしまうからだ。   

 そして電気についての「大きいことは良いことだ」という時代は終わった。各地で小さな電気を集めて小さく使っていくことが適切な時代が始まった。家庭は各地で小さく生み出し、蓄電して使っていく方が効率的になり始めている。 

 それには労働も雇用も金融も必要になるだろう。その時に運よく「労働者協働組合法」が成立した。人々に必要な労働を非営利で自分たちが出資して作り出す法だ。同時に地域で自然エネルギーを活用した方が電気は安全に安くなる時代が訪れたのだ。小さな資金なら、「NPOバンク」が非営利で低金利の資金を提供できる。つまり必要な道具が整ってきたのだ。   

 地球温暖化など環境問題に、危機感を覚えている人も多いだろう。しかし発電所が変わればそれだけで日本の二酸化炭素排出量の半分を減らせる。私たちが電力会社を支えなくなれば良いのだ。解決の糸口は見えた。あとはすばやくどう実現するかだけなのだ。

  (2021年7月、川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています)