「事業で社会を変えていく」

 おカネは苦手?

 

先日講演中に、「どうもこの場には、おカネのことが得意でない人が多い感じがする」と言ってみた。なんとこの一言が、この日の講演会で一番ウケたところになってしまった。どうやらNPO系の団体では、おカネが最も難関らしい。
 

 別な友人がやっぱりNPOをやっていて、そこに参加してくる人たちの類型を話していた。だいたい多くの人が、『おカネの問題じゃないから収入が少なくてもかまいません』とやってきて、『これでは食べられない』と辞めていくという。

 

 「事業」や「ビジネス」を嫌ってやってきて、収入のせいで辞めてしまうのがNPOのようだ。しかし食べていけなければ続けられない。人件費もきっちり稼ぎ出して、持続できる活動にしていかなくてはいけない。

おカネの入り方、三つ

 

最初のおカネを得るには三種類しかない。「寄付」か「出資」か「融資」だ。
その三つにはそれぞれ特徴がある。


 ◆「寄付」 …福祉など、収益性のないものをするときに用いる。

 要は返済できない資金を集めるときにはこれしかない。 寄付は個人、助成金、企業のメセナやCSRを探すことになる。しかし企業は業績が悪化すればやれなくなるし、助成金も今後の経済状況から考えて、大盤振る舞いを続ける現政権でなくなれば当然出せないだろう。

 そして個人だが、言うまでもなく生活が苦しい。しかも困っている人の方が、困っている人のことがわかるから同情的だ。すると貧しさの循環を作ってしまうことになる。


 ◆「出資」 …収益があることが前提だ。しかし融資と違って、「出資者」には万が一の時には出資額が戻らなくなるリスクがある。したがって、事業者と共同してリスクを負担する関係だ。

 もともとNPOは出資を受けることができない。出資という言葉自体が「配当すること」を前提にするためだ。配当を受けたのでは営利になってしまうから、NPOは出資が受けられないのだ。


 ◆「融資」 …収益がなければ返せない。こちらは相手の事業が成功するかどうかに関わりなく返済を受ける。したがってリスクの低い事業に対して行う。

 NPOが受けられるのは、この融資と寄付だけだ。

 社会的起業は何をするか

 

 一方で「社会的起業」というのが流行っている。若者が自ら社会的起業を行う事例など、好ましい思いがする。しかし現実を見てみると、助成金やメセナ、企業のCSRなどからの寄付をアテにするものが多い。
 


 はっきり言おう。ぼくは「寄付」をアテにしているのは社会的起業の名に値しないと思う。
 


 社会の中で見るなら、生産をする主体ではないからだ。社会的事業というからには、自らリスクを取って、社会に対して挑んでいく姿勢が必要だと思うからだ。
 


 社会の必要とするニーズに対し、自らのリスクで、人々が必要とする商品を届けて挑むべきだ。商品といっても、何か販売するものだけが商品ではない。メルマガであってもいいし、人々が必要とするニーズに合わせたものであればいい。
 


 今、社会に望まれているものは多々ある。安全な電気、安全な食べ物、安心できる育児、不安のない暮らし、地域内のつながりなど、いくらでもある。これを負担感なく事業化することこそ社会的事業ではないか。


 類型化すると、出資や融資で実現する新たな事業が必要だ。しかしこれまで非営利側は事業を敬遠し、逆に資金を提供する側も非営利を事業の対象として見てこなかった。しかし人々のニーズに合致した利益を貪らない商品が市場に提供されるなら、多くの人たちにとって歓迎すべきことではないか。

社会を変えるのは政治だけではない

 

非営利側が社会変革を考えると、つい一足飛びに政治に走りがちだ。政治は社会の仕組みを規制・整理し、次の時代を提案するものとして必要なのは確かだ。しかし政治だけに期待するのも危うい。

 

 たとえば自然エネルギーでエネルギー供給する時代を考えてみたとしよう。政治は仕組みによって自然エネルギー政策を推進し、場合によってはそこに補助金すら投入するかもしれない。

 

 しかし肝心の自然エネルギー装置がなかったら、その政策は成功しない。人々のニーズを読んで、新たな商品を投入し、切磋琢磨して新たな市場を作るのは、実は商品提供者の側ではないか。

 しかも町の小さな商店であったとしても、彼らは周囲のニーズに対応し、いざとなれば家屋敷を売ってでも返済するリスクを背負って事業化しているのだ。リスクを取ることを恐れながらできることは、サラリーマンぐらいしかないだろう。

 

 しかも東電の原発事故で見えたように、リスクテイクをする意識のない経営者は、もともと事業者の名にすら値しないのではないか。そんな社会起業家がどんなに出ても、リスクテイクがなければ社会的事業は成り立たないだろう。

 

市民型の事業を

 

ぼくが期待するのは市民が社会をつくることだ。

 リスクテイクをして自ら次の時代を築く商品を作り、金銭的利益ではないリターンを得て、経済的にも持続可能なレベルで暮らしていくことだ。
 おカネの問題で重要なのは、稼ぎ方の問題以上に使い方だ。

 

 もちろん問題ある稼ぎ方はあるが、それを言い出すと、今の会社に勤めていること自体を問題にしなければならなくなる。むしろ「使い方」が重要なのだ。

 
 仕事をしている今の社会セクターには三分類ある。

●1つは「行政」(GO=Goverment Organization)だ。 GO以外はすべて「NGO」になる。

●2つ目のセクターは「産業」だ。
これは利益のための組織(PO=Profit Organization)になる。したがってこれ以外はすべて「NPO」になる。

●この結果、3つ目のセクターとして「非政府 NGO」かつ「非営利NPO」「市民セクター」が存在することになる。英語での「第三セクター」はこれを指している。日本のように行政と産業がやるような第三セクターではない。

 

この三つは同時に存在することができる。

たとえば「銀行」なら

  •   行政 → 国営銀行、郵便貯金
  •   産業 → 民間銀行
  •   市民セクター → 非営利バンク、労働金庫、信用金庫、信用組合



アメリカの「病院」なら

  •  行政 → 国営病院
  •   産業 → 私立の病院
  •  市民セクター → クリニック

 だ。

 



 ありとあらゆるジャンルで、市民セクターの事業を作っていくことが可能だ。

 もちろん非営利だからと言って、給料をとってはいけないということではない。
「給料は経費」、経費は計上しても営利ではない。給料はきっちりとる。

営利と非営利の違いは、「配当するかしないか」の違いだけだ。非営利は、おカネしか出していない人に配当としておカネを配ることは許されない。それだけの違いだ。

 

非営利でビジネスを

 

今もし会社で業務を担当しているなら、同じことを非営利事業で実現できないか考えるのがいい。

 そしてもし、「行政」が不親切で効率が悪いのなら、もっと親切で効率の良いものを自分たちでNPOで提供すればいい。

 

 もしビルゲイツのように「産業」が強欲で、ものすごく高いソフトをみんなに買わせて独占しようとするなら、みんなでシェアして作る「リナックス」のような非営利事業を生み出して、独占をさせないようにすればいい。だからビルゲイツですら「財団」を作って、自分のおカネを吐き出さざるを得なくなったのだ。

 

 ぼくが理想とするのは、「行政」「産業」に対して、「市民セクター」が出てくることによって「チェックアンドバランス」を実現する社会なのだ。

 この3つのセクターが、お互いに切磋琢磨する社会が最も望ましい社会ではないかと思う。



 そう考えると、今の時点では市民のセクターの事業があまりにも未発達だ。これを市民自身のリスクテイクで増やしていくことが必要だと思う。それこそが「社会的事業」ではないかと思うのだ。

 これを社会に対して適用してみると、私たちには三つの方向性があることに気付く。

 一つは「タテ方向」だ。自分自身が政治家になるなり、政治家に影響を及ぼすなりして下から上、上から下へと社会を変えていく、タテ方向の解決策だ。

 二つ目は「ヨコ方向」だ。多くの人に伝えることでムーブメントを起こして、広くヨコ方向に知らせていく運動だ。

 従来の運動の軸にはこの二つしかなかったことが問題だったのではないか。


 もう一つ重要なのが「ナナメの方向」だ。全く別な仕組みを考えて現実に新しいやり方をやってみせる方法。英語で言うなら「オルタナティブ」な解決策だ。

上に述べた市民セクターが事業をすることで、行政や産業の横暴を抑制し、もっと適切なニーズに見合った商品開発から社会を変えていくこと。これが大事ではなかっただろうか。

 このナナメの方向をどうやって考え、実現していくかが、私たちに求められていることだと思う。

 


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