学生ボランティアの「正しいススメ」

2020年4月発行「 BILANC」 (公益財団法人私立大学退職金財団発行)に、田中優インタビューが掲載されました。



学生ボランティアについてです。

ご一読いただければ嬉しいです。なお、webにて全文公開されています。


無賃労働を「ボランティア」と称する風潮にNo!
他人から強制される危険性を解説していただくとともに、
教育に「正しく」ボランティアを組み込む意義を語っていただきました。

学生ボランティアに警鐘!「大人主導」は危険

ボランティアとは、他人や社会のために自分で考えて行動することで、「自分の意思」を「自発的に」つくり上げていくものです。ところが昨今、間違った取り上げられ方が多く見られます。
  ときどき「学校が児童・生徒を半強制的にボランティアに参加させようとしている」などと問題になることがあります。実際、こうした大人主導のボランティアは大変危険です。「強制参加」というのは、大人が子どもを型にはめようとしている図式です。
  せっかくの貴重な機会が、大人に強制されたつまらない学校行事になってしまっては、元も子もありません。罪深い行為ですね。

  ボランティアの問題点はまだあります。「ボランティア」という言葉を、単なる人件費削減の手段に利用していることが挙げられるでしょう。「ボランティア」を美辞麗句のように用い、持ち上げることで、無賃労働あるいは低賃金労働を学生に強いるわけです。

 このようなボランティアの利用は、裏を返せば正規の雇用機会を奪い、プロフェッショナルが育ちにくくなる原因の一つとなり、もはや社会問題ともいえるでしょう。たとえば、図書館のスタッフに学生を起用しているところがあります。問題はある市町村であったように、スタッフだけでなく司書まで学生に置き換えてしまったケースです。

 国際社会では、司書は社会的な地位が高い専門職です。なぜなら、司書は図書館が内包する「知」をつかさどる存在であると認識されているからです。

  しかし日本では、司書に倉庫番のようなことしか任せていないケースも多い。だから運営費用を下げるために、図書館の機能を落とすだけでなく、司書の雇用までも奪ってしまった。本当にもったいないことです。十分なレファレンスサービスが受けられない図書館の利用者も被害者といえます。関わる人すべてにとってマイナスになってしまう。こういった状況を生んでしまっては、もはやボランティアとは呼べないのです。

「違和感」を覚える場で人は成長する

「ボランティアを通じて、学生に自発的に考えさせる」のは、まさに言うがやすしで、実践するのは難しい。学生は、自分で考える経験が少なく、そうした素地がまだ十分に整っていないのですから、なおさらです。それに、そもそも現代は、自発的に考え、行動することが難しい時代になってきています。

 原因のひとつと考えられることとして、SNSの普及などにより、似た個性をもつ人たちが、同じコミュニティに集うようになったことが挙げられるのではないかと思います。同じ考えの人が集まると、「個人」が隔離され、気にくわない人を遠ざけることができます。しかし行き過ぎると、多様性が排除されていきます。これは恐ろしいことです。マイノリティーが瞬時に疎外される社会へと向かっているのです。

 この状況の改善にボランティアはとても有効といえるでしょう。インクルーシブ教育※の考え方は、ボランティアと相関性が強いと考えています。いろんな立場や考えの人が同じ場にいると、これまでの経験や思考では処理できない、さまざまな「違和感」が生まれます。この違和感は他人の痛みがわかるきっかけであり、自発的な行動の第一歩です。自分の考えていることと違う、異なるジャンルの人たちとの関りでは、時にいさかいも生まれることでしょう。そこで生まれた違和感を課題に挙げて話し合い、関係性を深めていけばよいのです。

 ボランティアへの参加は、「違和感を覚える場に自ら飛び込む」ことにほかなりません。それに、自発的に参加したのであれば、責任が生まれます。チャレンジングなことですが、ぜひ今の学生たちには取り組んでもらいたいと思っています。

※インクルーシブ教育・・・障がいの有無にかかわらず、誰もが通常学級で学べることを目指す教育理念と実践課程のこと。

三つの「やってはいけない」学生編


1)「自分探し」で行ってはいけない
2)「手段」になってはいけない
3)「ぶっつけ本番」ではいけない

教育現場でボランティアを正しく導入するためには

ボランティアを教育の場に組み込むためには、まずは教える立場の人が、事例や歴史を含めボランティアについて、よく勉強することが不可欠です。しっかりとボランティアのことを学習すれば、学生にとって適切な場を提供することが可能になります。

 大学で授業にボランティアを盛り込んだ場合、システム上、単位の取得可否が問われます。ただし、就職活動の点数稼ぎなどに利用されることは、絶対に避けなければなりません。ただ働きさせる仕掛けを作り、低賃金の温床になってしまいます。

 単位授与に関しても、ペーパーテストではなく、学生の思考や経験値を単位に直結させるべきだと思います。とはいえ、ボランティアは点数化しづらいので、評価をする立場の先生が素養を深めておかなければ、教育現場でボランティアを扱うのは不可能です。

 ボランティアに行く前には、学生に事前学習を促す必要があるでしょう。障がい者や被災者と接する時などには「してはならないこと」をリストアップしておくべきです。あまりがんじがらめにしても良くありませんが、ボランティアの現場というのはいわば「ライブ」で、やり直しがききませんからね。

 学生には、ボランティアでの失敗談を話すのが効果的です。身近な経験談でも、事例でも構いません。失敗談をインプットすることで、学生は「してはいけない」ことの範囲外で、自分には何ができるか考えるようになります。

 加えて、学生には「引き際」の重要性を認識させておく必要があるでしょう。阪神淡路大震災の時、ボランティアを引率して被災地に行ったことがあります。そこではボランティアと被災者に依存を生み出してしまいました。これはかなり厄介でした。ボランティアを受ける側と「施す満足」が依存関係となってしまうのです。相手のことをまず考える必要があるわけです。被災者にはこれからの生活があるのに、ボランティアが来ている時に頼りきりでは、プラスにならないのです。また、押しつけがましくても争いになります。学生には、引くところは引くことを意識してもらう必要がありますね。

 学生は多くの場合、ボランティアの場で戸惑います。未知の世界に足を踏み入れて、違いを肌で感じ、違和感を覚え、相手のことを考える訓練をしていく。似た者同士が多いコミュニティに属している現代の学生には、この上ない経験になるでしょう。

三つの「やってはいけない」教職員編

  • 1)「参加の強制」はいけない
  • 2)「安い労働力」とみなしてはいけない
  • 3)「評価対象」にしてはいけない