2023.4.15発行のメルマガにて、
3.11当時東電会長だった勝俣氏に以前会った時に感じたこと、
今の日本の見通しの甘さなどの危機的状況などを書きました。
*** 本文より ***
ウィキペディアによると、「御前会議(ごぜんかいぎ)」とは、
「明治期から太平洋戦争終結時まで
国家の緊急の重大問題において天皇臨席のもとに
元老、主要閣僚、軍首脳が集まって行われた合同会議」
とある。
同じ言葉を東京電力でよく聞いた。
福島原発事故当時の福島第一原発事故当時の代表取締役会長だった勝俣恒久は、
同時に「電気事業連合会」の会長もしていた。
ぼくは年下の人であっても「さん付け」で呼ぶのだが、
自分のせいで事故を防がず、多くの被害者を出しても
有罪とはならないこの人には「さん付け」したくない。
その勝俣は、文字通りの電力業界のドンだった。
東電の中で、その勝俣を中心とした幹部会議を
「御前会議」と呼び習わしていた。
今回読んだ「3.11大津波の対策を邪魔した男たち」の中には、
「御前会議」の話も出てくるし、
津波の存在を「隠そう、抹消しよう」としていた東京電力の動きが
嫌というほど出てくるが、なぜか勝俣本人ではなく
周囲の東電の意に沿った発言をする人間ばかりが出てくる。
まるで勝俣を守るようにみんなで囲っているみたいだ。
それはまさに敗戦になった時の日本政府のようだ。
その点では「御前会議」という呼び方も正しいのかもしれない。
まるで中心がドーナッツのように空洞になっていて、
周囲が忖度して城壁のように防御しようとしている。
なんとも不思議な無責任構造なのだ。
そしてそれは東電社内で顕著だった。
勝俣をまるで「神」のように扱い、それが暗黙のうちに
当然の習俗のように当たり前のことになっていた。
かつて東電内で「カミソリ勝俣」の異名を取った切れ者勝俣が、
天の声を響かせた。
だから「御前会議」と呼ぶのも不自然ではなく、
「上意下達」の仕組みになっていた。
それは組織外に通用しないのは当然のことなのに、
社員たちだけでなく関係する団体もそれに従ってしまっていた。
いうならば「オウム真理教」と「麻原彰晃」のようなものなのに、
社外の人間にもそれを当然のように適用していた。強制というものでもない。
ただ社外の人間にとっては無関係なことなのに、
その関係性の中に取り込まれていったのだ。
著者の島崎邦彦氏は、本の中で繰り返し後悔している。
なぜ福島を津波が襲う可能性を伝えることができなかったのか、
「311の前日にそれを公表できる可能性があったのに、
できなかったために多くの被害者を生み出してしまった」
と述べている。
その隠された背景に何があったのか、後悔と共に追いかけている。
何と言っても島崎邦彦氏は政府の「地震調査研究推進本部」の
「長期評価部会長」を務めていた人だ。
まさに「中心中の中心」にいたはずなのに、
ところが知らぬ間に彼を除いて「秘密会議」が開かれ、
彼のあずかり知らぬところで対策や文案が決められていっていた。・・
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第281号:「日本のドーナッツ現象」 – まぐまぐ! https://mypage.mag2.com/ui/view/magazine/163810699?share=1
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