7回クビになった高校
僕は高校を7回クビになった。昔から、なぜか試験だけはやたらに強くて、いい成績で学校に受かるのだが、すぐ中退になってしまう。どこの高校に入ってもすぐケンカを売られるし、教師とはぜんぜん意見があわない。それと押しつけられるのが絶対にイヤだから、まあ、学校にはまったく向かないタイプ。
ただ、当時はやっぱり高校を卒業したかったから、毎回「今度こそは」という気持ちで入学していた。最後まで諦めがつかなかったな。親に援助を受けるのがイヤで、働きながら、何度も高校に出たり入ったりして……。あのころは圧倒的にコンプレックスが強かった。「人間のくずっていうのは俺みたいなヤツだ」と、そう思っていたから。
結局、最初の高校入学から5年後に大検を取った。大検は楽だった。最初から受けておけば良かった。
大検を取り、その後は夜間大学に入学した。一年目は車の免許を取ったので、乗りまわしているのが楽しくて楽しくて・・。仕事をし、明け方までドライブをして、もう寝る時間もないから、学校に行く時間はもっとなかった。
そのまま辞めようと思っていたが、学生運動が後期試験をつぶしてくれた。試験の代わりに送られてきたレポートを好き勝手に書いたら、全部いい成績で評価された。生まれて初めて評価された気がした。「大学も悪いところじゃないな」と思い、通学する気になった。そして2年目からはややまじめに、3年目にはさらにまじめに通った。結局4年間で、あり余るほど単位を取って卒業した。
環境問題を考え始めたのは、 やっぱり自分の子どもができてからだ。それまでは、モラトリアム人間と言われるほど、責任をとらずにやってきた。でも、子どもができたら逃げられない。正直、怯えていた。
けれど、子どもは親しか頼れないわけだから、さすがに「何とかしなければ」という気持ちになった。子どもが生まれたことと1986年のチェルノブイリ事故が重なったのが、大きかった。
学校や会社「組織」が人を苦しめる仕組みになっている
いわゆる「発展途上国」に行くと、「生きていければ何をやってもいい」という自由さが当たり前にある。けれども、日本の場合は、組織のなかで徹底的に自分の考えや発想が規制され、協調性が求められる。結果、しつけられてしまう。
原発の必要性を聞けば、学生の半数以上が「原発はよくない」と答えるのに、電力会社の社員になると全員が「必要だ」と答えるようになる。
社員のほうは、まったく自分の頭で考えていない。もう社畜と言っていい。
組織はさまざまなキャラクターが集まるほど活性化する。
組織が個性をなくさせるのだったら、そんな組織はないほうがいい、そう思う。
「発展途上国」に行くと、子どもたちが、とにかくおもしろがって生きている。
「生きるのがおもしろい」というのが大前提。
そう感じられない社会や組織のほうが、やっぱりおかしい。
安全な働き方
しかし、「会社」に属さなければ経済的には苦しくなると言う人がいる。
自分の収入源が「会社だけ」と一本化してしまうと苦しい。
結果的にクビにされるのが怖くて、社畜にすらなってしまう。
もし、会社だけでなく、別の稼ぎ口がいくつかあると、生活のセキュリティ(安全性)という面では向上する。
絵を描くことが好き、写真が好き、そういう自分の好きなことを同時進行させて収入源にしていく。形にしたことは、臆せずにコンテストとか、いろんな場所に発表したらいいと思う。他流試合というか、そういう場に出すことで、自分の可能性を試していくのが大事だと思う。
僕も含めて、学校社会にあわない人は、早く自分の好きなことを見つけた方がいい。
そして、開き直って自分を信じられたらもっといいと思う。
学校よりもマンガで
「発展途上国」に対して、識字率向上のための教育運動がある。
NGO関係者は高学歴の人が多い。そういう人が、識字教育向上を考えると、たいがい「学校をつくりましょう」という発想になる。
でも僕は、文字をマンガで覚えた。いま、世界でおもしろいストーリーマンガは日本に多くあるから、マンガを現地語にして売ればいい。おもしろいマンガがあれば、すぐ文字なんて覚える。学校を作るよりもマンガで広げたらどうだろうか。
いろんなところにニーズがある。僕もNGO活動を始めたころは「権威」に恐縮していたところもあった。「学歴がないから」と、みんなが寄りつかないことが、本当はネックになっているのかもしれない。
「させられる」から「する」側に
ひきこもり・ニートが、なぜ生まれたのか。構造的な問題だと思う。
いま、日本を含めて色々な国で少子化が起きている。原因はどこも同じようで、高学歴が高収入につながるから。だから、親は高学歴のために高額の学費をかけていく。当然、学費が払える範囲でしか子どもをつくらないから、少子化が進む。バーンと学費をかけたのに、子どもが一浪し二浪し何もしなくなって、親は気づく。「学校に行かせるより安上がりだな」と。親の稼ぎで食えるうちは、それでいいじゃない。
それよりも、とにかく、この輪廻のような、がんじがらめになっている社会からどう抜けるかだ。別に家で何年もグダグダ過ごしてもいい。学校や会社……、がんじがらめの社会に、どれだけ自分がとらわれていたのか、逆にどう抜け出すかを考える機会にすればいいと思う。
社会の構造全体が閉塞的な構造になっている。このどうにもならない状況を素直に認めるしかないと思う。ムリに幻想を持って合わせようとする必要はない。
それより自分たちがどんな社会を目指したいのかを探すほうがいい。その前段階として、時間をかけて自分や社会を問うってのはいいと思う。「おかしいぞ」と疑い始めることが積極的に動く、「する側」へまわり始めるきっかけになるのだから。
これは、ひきこもりだけの問題ではなく、この社会では、多くの人が受動的に「させられ」ている。「させられる社会」は、まったくおもしろくない。ミスをしても責任をとらなくていいが、逆に何一つ自分の功績にはならない。自発的に「する」側に切り替わらないと、おもしろいことは起きない。
お金持ちがよりお金持ちに
やっぱり社会のほうがおかしくなった。しかも、本当にどうにもならないところまできてしまった。どんなにクソまじめに働いても、たいした報酬が得られるわけじゃない。200年ほど前のマルクス・エンゲルス時代から比べると、はるかに労働生産性が向上しているのだから、以前よりはるかに少ない労働ですむはずなのに、何も変わっていない。
原因は誰かがかすめ取り、お金持ちがよりお金持ちになる仕組みになっているから。こんな社会に順応しなくていいと思う。
できることの一つとして、生活費から考えるとおもしろい。
たとえば、生活費全体の10%程度を携帯料金に支払っているとする。
もし携帯電話に代わる仕組みを作り、その仕組みに100人の人が乗っかってきたら、10人の人の生活費が出せることになる。
それは電気料金でも家賃でもいいが、生活費のなかで大きなパーセンテージを占めるものを、別の仕組みに転換してしまえばいい。
それと、何か「やろう」と思ったら、仲間を巻き添えにすることだ。
共感できる仲間を集めて、一緒に次の時代の仕組みを築いていく。
僕の考えでは仕組みを変えなくては、どうしようもならないと思っているから。
自分と相手、相互に「利」がある仕組みをどう作っていけるか、それが大事だと思っている。











