坂本さんは普通の人としての感性を忘れない人だった。
それじゃなきゃぼくなんかと一緒に活動できるはずもない。
ぼくは若いころから坂本さんの音楽を聴いてたけど、
そのことはついに一度も告白できなかったな。
「非戦」の出版記念会の時に初めて会ったんだけど、
出版まではメーリングリストでみんなやり取りしていて、
他の人たちの多くは坂本さんとその時に初対面だから、
坂本さん以外で「私は誰でしょうゲーム」をやったんだ。
楽しいことがたくさんあったな。
坂本さんと一緒に活動して。
もちろん尊敬してたし大好きだったけど、叱られたこともあった。
「NYにいる人たちは辛い思いもした、それでも彼らに向けて「非戦」と言ったんだから、非戦を貫く思いを持たないと。だから“大切な人を亡くしてもそれでも戦わない”というぐらいの想いを持たないと」と。
ぼくも尊敬してたけど、ミュージシャン仲間の方が坂本さんを尊敬してたと思うな。
別格な思いがあると思う。
だからアーティストパワー(アーティストによる自然エネルギー促進プロジェクト)の集まりには多くのミュージシャンが結集してたんだと思う。ap bank設立にも協力してもらった。
ぼくの息子たちも坂本さんに会えたし、幼い娘はト音記号をホワイトボードに書いて、坂本さんに遊んでもらった。娘はト音記号で遊んでくれた優しいおじさん、とまだはっきりと覚えているようだ。それが何かのきっかけになってくれたらいいな。
結局このNO NUKES2019がお会いした最後だった。
坂本さんは年老いてからどんどん優しくなってた。
ずっと生きていてほしかった。
元気でいてね、坂本さんの魂。
これからも非戦の想いを貫いていくよ。
2023.4 敬愛する坂本龍一さんへ 田中優より