遠雷 ~遠くに見える稲光~ NPOバンクとして

「遠くに見える稲光」

 遠くで稲光が光っている。遅れてすかすに雷鳴が聞こえる。世界で起こっている「ダイベスト運動」も「ミレニアム開発目標」もそんな感じがするのだ。世界で音が大きくなってるものの、日本には届いてこない。多分日本人の興味ある音ではないし、関係ないことと多くの人が耳をそばだてたりしないせいだろう。

 そうして世界に取り残される。「RE100(再生可能エネルギー100%)」の運動もそうなのだろう。しかしそのことがビジネス界に激震をもたらした。

 「RE100」をグーグルなど世界的企業が採用したのだ。そして調達品にも同じ要求を持ち込んだ。そうなって初めて日本の世界的企業も慌て始めた。このままではわが社の製品は買ってもらえなくなると。

 この鈍さは日本の政治にも共通している。ジェンダー問題や人権など、世界はもっと敏感に反応しているのに、日本だけは知りもせず無視を続けている。悲しいほど「遠雷」なのだ。

「お尻を見られたら死ぬ」

 世界の投資家や政府では、石炭火力発電など見向きもしない。それどころか使っている国は地球温暖化を考えない国としてパスするようになっている。と同時に原子力発電などそれ以下だと扱っているのに、日本の政府・経済界だけは未だに推進しようとする。民意は各種の統計でも半数以上がもはや反対しているのに。

 この鈍さが日本を孤立させている。ネットではこれを「ぼっち」と呼ぶ。「ひとりぼっち」の「ぼっち」だ。世界の首脳が集まっても日本政府だけは相手にされない。無視されている。言葉すら通じない「未開の酋長」がいるみたいだ。

 日本の文脈から伝えられるツールはないものだろうか。人々はすでに原発を認めていないし、人権問題も気候変動問題も心配している。「それが証拠に…」と伝えられるものが必要なのだと思う。

 先日「新聞記者」という映画を観た。「日本の現実を映画化している」と伝えられるものだ。しかし観に行って私は全然違う感想を持った。ガラス細工のようなひ弱な人々の群れを見た気がした。些細なことで自殺してしまう。「私はこう生きる」というような強い意志を持たない。まるで「お尻を見られたら死ぬ」と決意している小学生みたいだ。狭い蛸壺の中に入り込んで、外の世界はないみたいに。仕事を辞めればいいだけだ。みんなの期待を裏切って自由になりさえすればいい。なんだか「武士の切腹」を見させられた思いがした。そんな些細なことに命がけになることに私は共感できなかった。

野太い活動を

 NPOバンクはそんなガラス細工の神経ではなく、野太く生き続ける意志を見せる存在になりたい。毎日関わる「おカネ」に意志を持たせて、「ダイベスト運動」のようにそんなことには協力しないという意志を持つるようにしたい。「原発や石炭火力発電には自分のカネはびた一文使わせない」という意志を。ほとんどの金融機関や企業では実現できないことでも、NPOバンクならできる。みんなでカネの使い道を決めているからだ。

 企業の「RE100(再生可能エネルギー100%)」への対応の遅れの原因にも、人々の意識の遅れがある。人々が投資するとき、そんなことを思う人はごく少数しかいない社会なのだから。

 NPOバンクは小さなものだし、人々にほとんど認知されていない。「だからダメだ」ではなくて、ここから社会を覆していく可能性があるのだ。

 小さな蛸壺の中に逃げ込むのではなく、もっと大きな世界の中に飛び出そう。
これまでのことに思い悩むな、ここから何するかが自分を決めるのだ。


NPOバンクが小さな存在であっからこそ、未来が大きく開かれているのだ。


全国NPOバンク連絡会理事長 田中優
(2019年NPOバンク連の総会に向けて書いた原稿です)

☆全国NPOバンク連絡会 https://www.npobank.net/

☆未来バンク(リニューアルしました!) https://mirai-bank.org/