現代の「弁士注意」

旧憲法の時代には,政治的とされる活動が集会条例や治安維持のために厳しく抑圧され,明治憲法29条で認められていた「集会の自由」も「法律ノ範囲内」に厳しく限定されていた。集会や集団行動の開催,参加者,内容上の制約などを「治安警察法」は詳細に規制していた。

同法に基づいて集会に臨席監視する警察官は〈弁士注意〉や〈弁士中止〉の命令を発し、さらに〈解散命令〉も連動して強い抑圧効果を発揮した。かつての旧憲法にしても「表現の自由の最大限の尊重」をうたっていたが、公安条例や破壊活動防止法が集会の態様や内容に基づく規制を加えていた。その後も世界大戦に向けて、「治安警察法」などにより様々な制約が加えられ、実質的に政府の強権的な弾圧の下に置かれた。

人々の集会は監視され、弾圧され、日本国憲法の「表現の自由」などの基本的人権は、有名無実なものとされていた。これを根本から改めたのは戦後の新憲法の公布からだった。

弾圧の進み方は戦意高揚のためにと少しずつ広げられ、気付いた時にはすでにがんじがらめにされていた。だから逆に戦後は一転して、人々はわずかでも「表現の自由」が侵害されること、人権の侵害に神経質に反応した。

ところがそんな中、あからさまな「言論の自由」への侵害と思われる事態が、現在インターネット上で起きている。私自身も削除されたことがあるが、政府の意に沿わない投稿をフェイスブックに送った時だ。具体的には政府の推奨する新型コロナウイルス・ワクチンに疑問があると投稿した時だ。それ以外にも何回か経験した。

しかし理由は「コンテンツ投稿ポリシーに違反しているため、あなたの投稿は削除されました」と書かれただけのもので、何が問題で、何が理由かわからない。明確な理由がなくて一方的に文章が消されるのだ。これは自らの意見の表現を自粛させるやり口ではないか。ところが一般的なSNSでの中のことだから。「変だなと」思っても問題視しないかもしれない。まさかそれが表現に対する甚大な侵害だとは思わないからだ。

ところが、実際には実に効率良い弾圧の手段だ。弾圧したい側は「キーワード」で検索すれば簡単に発見でき、それを個別のメールではなく、SNSから排除してしまえばいい。しかも理由も言わずに「ポリシーに違反しているから」と言っておけばいい。

「キーワード」を発する人もある程度予測できるから、その人たちだけマークしておけばいい。一部の人だけマークするだけでは少ないと思うかもしれないが、現状ではワクチンの有効性も安全性も確認されていないのに、ワクチンを接種する人たちが八割を占めるのだ。残りの人たちだけマークしておけばいいのだから簡単だ。多少厳しめに締め付けておけば、残りの人たちへの接種も難しくはないだろう。

その結果、「令和3年2月17日から令和4年7月10日までに報告された新型コロナワクチン接種後の死亡事例は計1,616件」となったのだ。

このことは発表されているのに報道もあまりされておらず、ほとんど知られていない。この膨大なリストを見てみると、死亡者のほとんどが高齢者であり、稼働年齢層の死者は数えるほどだ。

しかし注意を要するワクチン接種であることは間違いない。稼働年齢層の死者は「心不全」などの心疾患か、「くも膜下出血」などの「脳出血」だ。それ以外の死亡事例はすでに持病を患っていたり、アレルギーを持っていたりするような事例ばかりだ。ワクチン接種前に高血圧症などの持病を持つ人に注意を促しているのだから、間違った対策ではないように見える。しかしそれにしても一年半の間に1616件の死亡事例は多すぎるのではないか。

調べてみると「アストラゼネカ」のワクチンが特に問題になっていた。欧州医薬品庁によれば「血栓症」と同社製ワクチンとの関連で「強い」可能性があるという見解を出している。欧州医薬品庁によればこれまでに使用が認められたワクチンの中で最も安価で、世界的には大量に生産されているものだ。発症のメカニズムは不明だが、英医薬品・医療製品規制庁(MHRA)も、血栓症と同社製ワクチンの関連には「強い可能性」があるとの見解を発表している。

それとの対比で言えばあり得ることだが、どれが原因なのかは確かではない。いくつかの可能性で言えば、mRNA(メッセンジャーRNA)を直接打つことは今回が初めてなので経験がない、mRNAワクチンには免疫抑制効果があるので接種は危険性がある、抗原を細胞内で産生するので免疫から見ると感染細胞と認識されてしまうなどだ。ところがこの工程自体がノーベル賞により権威づけされ、無意味に推奨されている。このような権威付けは危険性を増しているように思う。

血栓症は血管の劣化、血圧上昇に耐えられなくなる血管の老化、血液そのもののべたつき、血液の流れが順調でなくなることによって起こる。そのすべての因子でワクチン接種が悪影響を及ぼす。

それなのにワクチン接種ですべて解決するというような物言いこそ、正にデマではないかと思う。ところがワクチンに慎重である側がデマのように扱われ、SNS上で排除されるのだ。

これはまさに戦時中の「弁士注意」というような言論弾圧ではないかと思う。すでにたくさんの死者が積み上げられたのに私たちは注意を向けていない。この無警戒な振る舞いが次の時代の犠牲者を生むのではないか。

(2024年7月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。)