ぼくらはどこから来てどこに行くのか

過去の日本人のルーツについて、いくつかの新たな事実が判明した。これだから最新の説にも目を配っておかないといけない。

一つはかつて縄文時代、弥生時代の二つのルーツによって日本人が形成されてきたという話だ。これは確かに日本人のルーツとしてありそうな話だった。ところが最近の遺伝子調査は劇的に精度が上がって、これに対して三つ目の遺伝子が日本人全体に交じり合っていることが判明した。なんとその遺伝子の割合は縄文期、弥生期よりも多かったのだ。もし日本人のルーツを遺伝子量から判断したとするなら、第三の遺伝子こそが最も多い比率になる。私たちは縄文でもなく弥生でもなく、もっと遺伝子内の比率の多い人種の子孫になる。それは「古墳時代」の遺伝子なのだ。

古墳時代なんて聞いたことのない話だ。卑弥呼だとか古墳が多くつくられた大和朝廷以前の話だ。あいにく当時の日本には文字に残されている時代ではなく、遠い中国の「魏志倭人伝」などに頼るしかない。そう日本に住んでいた人々の歴史は一万年以上あるのだが、文字に残されていない。特に縄文期は誤解されている。青森県の「「三内丸山遺跡」が調査され、そこに多くの人々が集まり、長く平和に定住していたことがわかるにつれ、古代は飢餓状態で文化もなく、戦いに明け暮れていたのではなく、人々は平和で文化の高い暮らしを長く続けていたことがわかった。私たちが思い込んでいたのは思い込まされていた歴史であって、事実に基づくものではなかったのだ。

個人的にちょっと残念だったのは、誇っても良いと思う縄文期からの流れはメインストリームではなかったことだ。ぼくの親しい友人に東北出身の人がいて、彼らの地域の子ども向けヒーロー戦隊に「アテルイ(阿弖流為)」がいる。

アテルイ(イメージ)

それは東北が「蝦夷(この場合「えみし」と読み、必ずしもアイヌ民族だけを指すものではない)」の国だった頃に実在した人物で、「征夷大将軍」として派遣された坂上田村麻呂と戦うのをやめ、田村麻呂を信頼して朝廷に連れていかれ、坂上田村麻呂の懸命の助命嘆願にも関わらず腹心のモレと共に処刑されてしまった。このことに大きなショックを受けた田村麻呂は、その霊を鎮めるために清水寺、そして福井に妙通寺を建立している。

田村麻呂は余程無残念だったのだろう。アテルイは戦って敗北したのではない。これ以上人々の住まいや周囲の森や自然を壊されたくなかったのだ。そして自らの命を差し出した。田村麻呂が約束した助命など当てにしてはいなかった。

周囲の森や人々の住まいなどこれ以上壊されたくなかったのだ。こんな思いを感じることができるのは「縄文人」的な感性ではないか。そのアテルイのような感性は森に暮らす人たちに共通するものだ。

ところが私たちのルーツを調べていくと、その後の「古墳時代」の遺伝子の方が多いのだ。この古墳時代は特に四世紀など、全く記録の残されていない空白となっている。卑弥呼の時代、多くの地方の有力者が戦いを繰り返し、卑弥呼を奉って大きな連合軍を組織した。その連合軍が必要だったのも中国は「三国志」の時代であり、日本の小さな政府では、間隙を縫って存在を認めさせるしかなかったからだ。

しかしその間にも金属器の精錬技術などを発達させていた。日本は特にアジア東北部から技術や情報などを取り入れている。その時期に人の交流が進み、大きく三回目の遺伝子交雑の時代が訪れているのだ。もはや「縄文人→弥生人」が日本人のオリジナルというような、「二重構造説」では語れなくなった。私たちは遺伝子から見てももっと雑多で複雑なルーツによって組成されているのだ。

しかしルーツが複雑であることは、その内のどれを自分の元とするかを選べるという考え方も成り立つ。そうして自分でどのような主体を選択し、それに倣った生き方をしていくことも可能なはずだ。

だとしたらあなたはどんなルーツを選びたいだろうか。しかしそれよりももっと未来に対しての選択肢は限りない広さを持つだろう。何を選択するかは運命ではない。もっと遡ればホモサピエンスになってアフリカに生まれ、そこから18万年前に全世界に広がっていった。それが2万数千年前から4000年前に「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民としてアジアのタイあたりに集まった。それが当時のヒトが集積するあたりだった。森に親和性を持つのはそのせいかもしれない。現日本人は、そこをいち早く抜け出て今の日本あたりに進んだ民族の持つ末裔とみられる。私たちの遺伝子はその来歴を持つのだ。

どう思うだろうか。私たちの遺伝子の中にそれだけの広さがあるのだと思えば、未来に対しても洋々とした可能性が見える気がしないだろうか。たぶん私たちは自分で壊しさえしなければ、もっと大きな可能性を持っているのかもしれない。その遺伝子を壊さなければ、多少の気候変動や大きな変化にも対応していけるのではないだろうか。

何かに絶望するにはまだ早すぎる。生きられないという可能性はまだまだ遠い。地球が太陽に飲み込まれるには、まだこれまでの地球の年数ほど残されているのだ。それまでに何をするかはまだはるかな歴史ほどの年月が残されている。それよりはるかに短いのが、この私たち自身の寿命なのだ。

その中でどれだけ自分の思いを残せるかが大事なのかもしれない。あなたは何をしたいと思うだろうか。何を子孫たちに残したいと思うだろうか。ぼく自身はもう少しだけ知らなかったことにちゃんと向き合いたいと思う。

それともうひとつ、未来を台無しにしてしまうような科学の発達を止めさせたいと思う。ここ数年だけでも、小さな地震にも耐えられない原発など、その引き起こす遺伝子破壊と比べると、役に立たない技術だろう。致命的とも言えないウイルス対策のために、被害の方が大きいワクチンなど意味がないだろう。今進められているこうした技術のほとんどが、一部の産業が利益を得られる仕組みに過ぎないのではないか。私たちの未来は一部の者の利益に打ち勝つことができるだろうか。

長い歴史の中で、今私たちは一部の権益者に勝てるかどうかと問われている気がする。

(2024年4月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。タイトルは一部変更しました。)