あの地震の時、信じられた人たち

新潟で中越地震が起きたのはつい先日のことのようだが2004年、今(2025年現在)から数えると21年も前のことだった。

そのことで気にかかったのは二つ、その時のテレビでトンネルが崩落し、走行中だった母子を乗せたワゴン車が巻き込まれ、その救出活動がテレビ中継されていた。

その中で

お母さんが子供を励ましている声が聞こえているそうです

とリポーターが報告していた話。

実は後にわかったのは「トンネル崩落は予想外に大きく、妹と母は即死していた」と訂正された。だから声を発するはずもなく、後に助け出された当時二歳の弟が聞いていたという母の歌声も誤報とされた。

しかしそれは誤報ではなく、事実聞こえたのではないかとぼくは思う。

ぼくの母はがん手術の後その甲斐なく亡くなったのだが、ぼくが中学に入学したばかりのことだった。その母の葬儀を負えたばかりの頃、母は夢の中で「ずっとそばにいるからね」と言っていた。ぼくはそれに対し、「そんなこと言っても母さんは死んじゃったんだから無理だよと言った。それ以来、母は夢にさえ出てくることもなかった。そして夢から覚めて目を開くと月の明かりが室内に煌々と射していた。あれは夢だったとは思えないのだ。

それはテレパシーのようなもので、頭の中に直接響いて来るものだ。その会話にはやり取りの感触もなく、同じ人の頭の中での反応のようだ。そんな経験があったせいか、霊感の全くないぼくがそれだけは受け入れるのだ。確かに強く希望していた伝言は時間も言葉もなく伝えられるのだと。

動物と人とが伝え合うのもこれに似ている。

ぼくがどうしようもなく孤独で、誰とも話のできない時にも、犬はぼくを励ましてくれていた。そのおかげでぼくは生き続けられた。ぼくは犬との会話を信じているし、そのおかげで今日まで生き延びられた。ただ犬たちの方がずっと短命だから、いずれ失われてしまうのだが。

中越地震のことでもう一つ覚えているのは、新潟新幹線が脱線事故を起こしたことだ。幸いにも地震時早期地震検知警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動したことに加えて減速していたため転覆しなかったが、豪雪地の排雪溝にはまり込んだまま滑走した。

Wikipediaより

戦後、鉄道は多発したが、多くは踏切事故だった。その後に特に問題だった過積載トラックに規制し、新新幹線の軌道は独立した構想軌道したことにより原因自体を起こらないようにした。脱線以前に軌道からの逸脱を防ぐために、「脱線防止ガード」をレールの内側に平行して設置している。

Wikipediaより

こうして万が一の時にも脱線するのを防ぎ、復旧工事に長い期間を要はなくても済むように配慮している。かつてのような命がけの仕組みではなく、安全を一番に考え、次に復旧にかかる時間の問題へと移り変わったのだ。それによって世界一安全で高速な移動手段へとしてきたのだ。

おかげで近いうちにこの岡山から東京に出かけるのだが、全く命がけのことではなくなった。ただ相変わらず交通費の負担は大きく、インバウンドが言われる中、収入だけが増えない中、交通費と宿泊費が大きくのしかかるが。

日本の中に居る限りで最近の物価高と円安のおかげで負担が大きいが、そこを改善できればかなり安心して暮らしていける。原発の稼働や増設計画がコスト高のせいで実質的に停止されているのも良い方向だ。しかし日本に住む限り自身は免れない。

このあたり前を当たり前に対応できる暮らしを当然にしたい。日本はかつて踏切りさえなく、過積載トラックが暴走するのが当たり前の国だったのだ。その悲劇の国だったのが、今や金には困るが安全に国になれたのだ。何に重点を置いて国の未来を決めていくかは人々の意思に委ねられている。

私たちがどのような国にしていくか、改めて考えるべき時にあるのだ。ぼくには子どもたちと安心して暮らせる日本でいてほしいと思う。
原発はいらないし、健康に暮らしていられなくなるようなまやかしの便利さもいらない。安全ではない便利さを求めた結果がこれまでの失敗だったとしたら、人々の前で土下座して謝ったかつての要人のような人たちは要らない。人々はそんな人かどうかを見極める眼力だけが必要だ。

その人はどこまでも信頼できる人なのかどうか見極めよう。

多くの人々は信頼できる。でも長く信じ続けられるかどうかになると怪しい。いつまでも信じられる人の中で生き続けたい。特に地震のような大きな災害があると、その人の本性が見える。それでも信じ続けられるかどうかが大きなメルクマールだ。そこで信じられるかどうかで判断しよう。

(川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。)