人生の分岐点

移住先の和気町での藤まつりにて

今年も3月11日がやってきた。ぼくの人生を変えた日だ。それまでは東京の下町に住んでいて、一生そこから離れる気はなかった。でももし万が一原発が事故を起こして、住んでいる地域が放射能汚染したら、転居するしかないと考えていた。何よりも自分の大切な人の命を守ること、それに比べたら大切なことなど何もないように思っていた。そして、仕事を退職していたぼくは部屋の中にいて、パソコンを点けた。関東なら時々ある「地震の揺れ」を存分に味わった。ただ大きな地震が長く続いたのを覚えている。そしてパソコンで原発が大丈夫かどうかを確認していた。

地震はいつもより長く続いたし、携帯のアラームは鳴り続けている。このアラーム音はこの世の終わりみたいな音を出して、止めるまで鳴り続ける。横になっていたベッドが大きく揺れて、壊れたのかと思うほどだった。

パソコン開くと、友人たちが流してくれたメールが次々と入った。今回の地震の震源地や今の原発の状態、今後のことなどが流れてきた。そして今回の地震で津波が起こりそうなことも。その日がついに来てしまったと感じた。原発の問題を気にしてから十数年、たぶんこうなることを気にかけていたのだ。そして次にすべきことを考えていた。

「まずはどこに逃げるか」と考えた。パソコンで風向きを調べて、放射能が飛んでこない方向を調べた。特に福島の原発群がまずい状態だった。そうなるとまだ北風の吹く三月なのだから北には進めない。そうなると南か西に向かうしかない。東京は海に面しているから西が一番良いだろう。そんなことを考えていると、若い友人からメールがあった。「今小さな子どもたちと一緒にいて、どこに避難するのが良いだろうか」と。

「まずは落ち着こう」と言いたかった。「それからゆっくり考えよう」と。でもそれは無理な相談だ。そして彼女に返した答えをそのまま多くの人に伝えていかないとと思った。自分と親しい人だけを助けるわけにいかない。知りもしない人たちにも伝えていかなければならないと思った。

放射能の蔓延した外気の中に居てはいけないのだ。今は大丈夫でも放射能の空気を体内に取り込んだ内部被ばくは、後になって取り返しのつかないほど体内の器官に害を与える。直接放射線を浴びる「外部被ばく」よりも、放射性物質を体内に取り込む「内部被ばく」の方が危険だからだ。東京に放射能の風が届くまでにはあと数時間ある。この放射能を体内に取り込まないためにはマスクを活用した方がいい。しかも事故当初から飛んでくる放射性物質には水溶性のものが多いから、水に濡らしたマスクで呼吸を覆った方がいい。逃げるのは西向きで、風向きをいちいち確認した方がいい。

その翌日には講演会を頼まれていた。もちろん休まないが、そこで話す内容は変更されて、放射能汚染を避けるためにどうすれば良いのかという内容になった、わずか30人ほどの勉強会のはずだったのに、会場の外まで人々が集まってくれていた。

「ぼくの講演会のための列」だとは思わなかった。主催者は急きょ五百人も入れる会場を確保し、それでも前列の人たちは椅子も使わずに床に腰掛けて聞いてくれていた。それから家にも帰れずに講演旅行で全国を駆け回る日々が半年以上も続いた。

やっと静まった頃になると、やっとぼく自身の移住先のことを思い出した。講演旅行のおかげもあって、知人たちは全国に広がっていた。その頃に知り合った友人に連れられて今住んでいる岡山県の片田舎に行った。その時の縁でここに移住しようかなと思ったのだ。そしてその友人の奥さんが今住んでいる住まいを見つけてくれて移住先としたのだ。

移住先の岡山にて

東京は残念ながら住まいにするには向かない土地になったと判断した。そうその東京を脱出して縁もゆかりもない土地に移住してからから12年も経つのだ。ここで生まれた娘も二桁の歳になった。東京を脱出したことに後悔はない。ただこうして生きなければならなかったことを恨むだけだ。

移住先にて娘と

ここに一冊の本がある。「なぜ首都圏でガンが60万人増えているのか」という本だ。

まるで資料集のようにデータばかりが集められている本だ。それを見ると、311事件以降に増えているのは明らかだ。この本は国内の「ガン登録法」も基づいて集められた公式データなのだ。それが2011年に小さく増加し、2016年からは大きく増加したままになっている。それが「60万人も増加している」の根拠になっている。これは明らかに311事故の影響で、無知や無関心がそれニ拍車を掛けたように見える。もちろん原発推進の政府与党側はこれをなるべく知らせないようにし、マスコミもそれに倣っている。私は1986年のチェルノブイリ原発事故後のデータから、ほぼこの傾向の出ることは予期していた。

悲しいほど予想した通りの事態が進行している。その中で能登半島の地震が起きた。能登にあった志賀原発は、311事故からずっと停止していた。もう一つの建設予定だった珠洲原発の方は計画中止になっていた。

これは現地の人たちの努力と偶然のおかげだ。もし偶然がなかったとしたら、再び福島第一原発事故と並ぶような被害をもたらしていただろう。日本のような場所に原発を立てるのは無理・無謀なのだ。こうしたことを言っても推進したずる人たちには届かないだろう。現に「60万人ものガンの増加すら」知られていないのだ。この影響は「岩手県、山形県、宮城県、新潟県、群馬県、栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、福島県」の12都県に共通している。これらを「被ばく12都県」と呼ぼう。この被ばく12都県が現にガン患者の急増化に見舞われている。

そんな事態が進行しているのに、原発を推進するなど、自らの利権の偏重しか考えられない。まさに今の政権は「今だけ、カネだけ、自分だけ」しか考えていないようだ。日本の地盤は独自で、その下からのマグマや火山噴火の理屈など理解されてもいない。こんな不安定な地域に原発など考えられない。まずは国内の原発を廃止しよう。そして核廃棄物の処理法など改めて考えるべきだと思う。その上でなければ未来のことなど考えることもできない。政府に反省させるだけのショックが必要なのだと思う。

(2024年3月川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています)